経歴 [編修できません]

1960年12月、大阪府大阪市に生まれる。幼少時より工作好きで、自宅の大工道具を利用して身の回りのものを作っていたが、アイデア倒れに終わることも多かった。今日でも、「とりあえず作って試してみよう」の精神で新しいことに挑戦しているが、リソースの無駄遣いを気に掛ける慎重な一面も持ち合わせている。
中学の頃、美術の授業中に作成したポスターが、美術の先生の判断で大阪市のコンテストに応募されたことがあった。何某かのお褒めを下されたらしいが、どのような賞なのか、本人は覚えていない。[要出典]
大学院を修了後、民間企業にて通信用光ファイバの開発に携わる。ここで、気の合う先輩や上司に恵まれて能力以上の成果を上げ、今日の研究の基礎を作る。博士の学位はそれらの研究成果をもとに、企業在職中に取得した。
その後、近畿大学に奉職し、今日に至る。本人は、会社における将来の業務展開のために学位を取得したのだが、図らずも大学における教育の役に立っている。


研究室 [編修できません]

研究室名は機能光回路研究室。2004年度創設。光ファイバを利用した新しい光学装置の開発などに主眼を置いている。多くの学生が在籍しているが、毎年人柄の良い学生に恵まれ、むしろ指導教員が学生からサポートされているのではないかと噂されている。[要出典]
なお、現役の学生からのサポートだけではなく、河南慎哉さん[1] 川上栄介さん[2] 春藤行弘さん[3]をはじめとする多くの卒業生からの支援も忘れてはならない。機能光回路研究室の卒業生による研究室三年生向けの就職ガイダンスなどは、彼らの協力無くして成り立たない
[4]
実験系の研究室を目指しているので、光ファイバの研究を行うための基礎的な測定器などは揃っている。これらの機器の大半は、機能光回路研究室をサポートして下さる企業の方々からのご厚意によるものであり、決して吉田の実力で取得したものではないことを本人は強調しており、常に感謝の気持ちを持って研究に活用している。
なお、あまり知られていないが、研究室には卒業生の山本優生さん[5]から寄贈された角印が存在し、
大切な色紙の仕上げなどに活用されている。

外見 [編修できません]

身長は日本人として平均的であるが、体重は平均値を大きく下回っており、見るからに虚弱である。現職において、年下の先輩から体力の無さと軟弱さを指摘される主たる要因となっている。
なお、会社に入って間もない頃、同期入社の社員から、ある少年誌に登場する力の抜けたキャラクターに性格が似ていると指摘されたことがある。吉田は後にその作品を読んだが、今でもその指摘を気に入っているらしい。
運動能力を示す性能諸元は明らかになっていないが、身体を動かすことは嫌いではないらしい。最近、原子力研究所に在籍されている学生時代の先輩から、学生の頃は夏場になると昼休みの一時間を利用して北千里のプールで泳いでいたことを思い出させられ、この事実を忘れていた本人が驚いていた。[要出典]


趣味 [編修できません]

とりあえず、趣味は写真。と、教員紹介誌に自己紹介をしているが、他にも、旅行と称して遠くへ出掛けることが多い。
写真の腕前は十人並みだが、顕微鏡写真や光源の撮影など、特殊な写真に関しては経験豊富であり、学会用の写真撮影などにおいては、綺麗でわかりやすい写真を撮影するので学生に対する面目を保っている。[要出典] 経験の浅い学生でも、少し練習を積むと同程度の実力を持てる様になるので、しばしば学生に手ほどきを行うが、学生が喜んでいるかどうかは不明である。

中学時代のポスターに関する一件に味を占めたらしく、現在でもデザインにこだわる事が多い。学会発表用、授業用のパワーポイントなどにその一端が現れている。わかりやすく表現しようとする努力だけでも評価して欲しい、と本人は望んでいる。

脚注 [編修できません]

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[1] 現在、三菱電機エンジニアリング(株)勤務。勤務先では光ファイバを利用した装置に携わっており、修士の
   研究で習得した多くの技術が、ストレートに仕事に生かされている。
[2] 現在、タツタ電線(株)勤務。学生の頃には既にファイバの製造プロセスを理解し、阪大で線引き(コア/クラッド
   構造を持つ太いガラスからファイバを作る)作業を実施し、自作のファイバで研究をしていた。春休みには、
   光ファイバの開発において歴史的な役割を果たした米国コーニング社のガラスミュージアム(ニューヨーク州
   のはずれ)まで出掛けた。
[3] 現在、タツタ電線(株)勤務。どのような仕事を主たる業務とするのか、これから決まります。
[4] 機能光回路研究室の就職率を高めるために不可欠な恒例行事である「卒業生による就職ガイダンス」は、
   河南さんの発案で始められ、今日まで続いている。
[5] 現在、中菱エンジニアリング(株)勤務。航空宇宙分野を目指して就活し、今は国産初のジェット旅客機の設
   計に携わる。春休みには米国、フロリダのケネディスペースセンターまでわざわざ出掛けた空(そら)好き。


編集後記 [編修できません]

ホームページを作ろうと思い立って、早くも2年を超える歳月が流れました。が、やっと、それらしくなりましたので、完成度は低い状態ですが公開させて頂きます。これまで、少し作っては放置し・・・ の繰り返しで、しばらく放置した後に手を付けると、以前にどこまで作業が進んでいたのかがわからなくなり、毎回リセットが掛かる情けない状態が続いていました。その結果、一部の先輩教員からは、「いつまで経っても完成しないに違いない」 「たぶん作れないのだろう」 と面と向かって批判されるまでに至っておりました。[要出典]
それでも、何とか、ここ一年ほどの情報を掲載して現状に至りました。今後は、できれば、少し古い情報も置けるようになれば、と思っています。新しい情報も、こまめに掲載したいと考えています。
卒業生の皆さんも、時折遊びにいらして下さい。研究室も少しずつ変わっていますよ。
最近、卒業生の方々からご結婚の情報が届く様になりました。皆さんのご活躍が楽しみです。ぜひ、同窓会へもお運び下さい。

最後に。 このホームページは、公開までに時間が掛かりましたが十分な手間を掛けられたとは言えません。間違いや意図しない不適切な表現などが存在するかも知れません。お気づきの点に関しまして、お教え頂ければ幸いです。




        よしだみのる 
      吉田実

 生誕    1960年12月
       大阪府大阪市
 職業   エンジニア、教員
 趣味   写真、旅行
 身長   170cm
 体重    50kg
  目次 [内容]

 1. 経歴
 2 研究室
 3. 授業の方針
 4. 外見
 5. 趣味
 6. 脚注

 7. 編集後記
 
  この記事は検証可能参考文献などが不十分です。
  参考文献を追加して、記載内容の信頼性向上を行って下さい。 このタグは最初から貼り付けられています。

吉田実 ( よしだみのる、1960年12月− ) は昭和生まれのエンジニア、教育者。性格は温厚。機能光回路研究室を運営。専門は光ファイバ。

吉田実
 


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